美広(よしひろ)のブログ

秘封と天狗を追う

善光寺御開帳&諏訪大社御柱祭③

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目次

上社前宮

電車に乗り下諏訪駅を発ち、茅野駅に向かいます。下諏訪駅からは2駅先です。

茅野駅に着いてまずやることは、レンタルサイクルを借りることができる場所を探すこと。幸いにも茅野駅に入っている観光協会で貸し出してるそうなので、窓口へ向かいます。観光協会のブースに入ると、まず目に入ってくるものがあります。

発掘された土器や土偶のレプリカ?が展示されています。どうやら縄文時代のものみたいです。古く縄文からここに人が住んでいたことが分かる展示となっています。ここに縄文から人が住んでいたからこそ、諏訪信仰が生まれ、東方が生まれ、我々が楽しむことができているのです。まさに古くから続く一連の流れの中に我々も組み込まれている....?そう思うとスケールの大きな話だと思いませんか(笑)。

展示品を眺めた後、観光協会の窓口に向かい、自転車を借りることができないかどうか聞きます。が、どうも天候が怪しいとのことでやはり自転車を借りることができない模様。代わりにタクシーを使うことをお勧めされ、現地タクシー会社の電話番号ももらいました。というわけで高くつきますがタクシーを使います。歩いていくこともできましたが、さすがに時間がもったいないので...。

茅野駅のロータリーでタクシーに拾ってもらい、上社前宮に向かいます。その間に色々話を伺いました。中でも前宮周辺には御柱屋敷というものがあるらしく、いったんここに御柱が集積されるということなので、時間があれば行ってみようと思います。

前宮の真正面で降ろしてもらうことができました。料金はやはりそれなりにかかります。降ろしてもらったところからすぐに鳥居が見えます。

早速入っていきます。下社が持つ形式的な雰囲気とはまた違い、まだ神社という雰囲気が出ていません。鳥居と少しの舞台だけが、そこに神社があることを示しています。鳥居をくぐってしばらく歩いて行った先に神殿があるようです。

神殿に向かう途中には小さな祠もあります。

こういう類の遺跡がごろごろ転がっているのも諏訪の凄いところ。なんというか、東方オタクが諏訪観光に行くと、絶対に2日じゃ足りないと思います。1週間くらいほしい、切実に。

坂を少し登っていくと本殿があります。その横にはそびえたつ御柱。これももうじきすると新しいものに交換されます。

一の御柱周辺をぐるっと回って本殿に向かいます。この行動に特に意味はないですが、本殿は正面でなく周りも荘厳な雰囲気でした。正面付近に来たので、脇から拝殿を観察します。

下社とは違い、拝殿の規模はそれほど大きくはなく付随する建物自体もそれほど大きなものではありません。ですが、拝殿のみの佇まいは、むしろこちらの方が好きです。さすが「諏訪信仰発祥の地」と言われるだけある場所だ...。

拝殿へのお参りをして、次のお目当てを回収します。

拝殿すぐ脇を流れる小川。名水「水眼」の清流です。

こちらは風神録Ex道中で神奈子が使用するスペルカード、「神符 「水眼の如き美しき源泉」」の元ネタであります。

スペルカードでは神奈子を中心として、小粒弾を全方位に吐き出す仕様になっています。

一方で本物の方は、直線状に流れている...というわけではありませんが、ところどころで立つ水しぶきがまるで小粒弾の色のように感じました。

この小川の傍にも御柱が立っています。前宮二之御柱です。

この御柱は東方ファンの間ではとても有名なものです。こちらの御柱風神録のCDジャケット背景になっています。御柱祭によってすでに2代ほど代替わりしていますが...。

記念に1枚。

こういう聖地巡礼時に原作を持っていくの夢だったんですよね。もう満足です。

ここで一旦前宮を離れます。次の目的地、本宮に向かいますので。

その前に一つ確認。茶処「山里」が明日やるかどうか...。ここに来るときに調べていたんですけど、今日は休業日らしいです。

明日はやる...!明日は営業日...っ!というわけで明日も滞在決定です。(実はこの時点までは滞在日程が未定だった。いろいろガバい。)

明日の滞在も決まりました。宿決めてないですけど。

上社本宮

前宮から本宮へは歩いていくことができます。その途中には、守矢資料館などもありますが、後ほど行くことにします。今はとりあえず一番離れている本宮へ。

途中には今でも飲むことができる湧水があります。

こちらを過ぎて本宮側へ進んでいくと、道祖神がありました。かなり古いようで判別が難しいですが、2体彫られていることが分かります。

この先に鳥居があります。この付近から本宮に入ったという感じがしてきます。

というのも、この辺りは、かつて神仏習合の関係でお寺も数多くあったそうです。明治の廃仏毀釈運動によってその多くが取り残されてしまいましたが、その名残のようにここに鳥居が残っています。その先には駐車場、大きな看板もありました。

この先に青銅製の鳥居があります。今歩いてきた道は古来から使われている道だったので、おそらく古くからこの道から参拝する人もいたことでしょう。その影響を色濃く残しているのか、こちらの鳥居も立派です。

入ってすぐのところには大きな欅があります。

樹齢千年とのこと。古すぎだろ...。

境内を東側から進んでいきます。

こちらは天流水舎。こちらも風神録に登場する弾幕の元ネタになっています。

H/Lでは分かりにくくなってるかもしれませんが、E/Nでは「天流「雨の源泉」」となっています。そちらの方が分かりやすいかもしれません。なんでも、天流水舎では毎日屋根から3滴以上は水滴が落ちて井戸に溜まるらしい。それが天竜川の源流になってるとかなってないとか...。この水はどうもご利益があるらしく、田んぼの水に混ぜれば枯れなかったりうんたらかんたら。

その前には五穀の種池。こちらで作物の豊凶を願うそうな。

楽殿も注目です。何やら大きな太鼓が...。

こちらの大太鼓。どうやら江戸時代のものらしいですが、今でも現役なのだそう。元旦の朝に打たれます。それにしても大きいのは、牛一頭を使い太鼓の革としているから。こちらの大太鼓は日本一の大きさです。

正面入り口付近にまで来ました。ここではまたお湯が湧き出ています。

降るから湧き出る源泉みたいです。触ってみましたが結構温かいです。まだ4月の初めだからでしょうか、湯気がもくもく沸き立っています。

やっと本殿入り口前まで来ました。見るべきところが多すぎてもう情報処理が追い付いていません。どうすればいいのやら...。

見渡すと、かなり現代的な情報案内板があります。こういった情報案内版は地元企業の情報が載っていたりするので、かなりありがたいです。美味しいお酒の蔵元はどこかな~なんて。

本宮へ上がる階段の脇には早速見逃せない、何やら注連縄で囲われた石が...。

急遽調べたところ、これは「お沓石」と呼ばれるもの。諏訪七石の一つに数えられています。諏訪七石は太古の昔、神下ろしに使われた石のことを指すらしいですが真偽のほどは不明。似たようなものに諏訪七木があります。後ほど、そのうちの一つに行こうと思います。

こちらにも御柱。もうデカすぎてカメラに収まんないんで諏訪(ここ笑うポイント)。寒くなったのでへ向かいます。参拝後撮影しました。

本宮の造りは「諏訪造り」と呼ばれるこの場所独自の造りです。守矢山を御神体とするからでしょうか、弊拝殿と片拝殿のみの造り。やはり諏訪信仰は日本古来の信仰の中でも特に毛色が違う信仰ではないでしょうか。

拝殿参拝の横からは四之御柱が見えます。ずいぶんと高いところにあるみたいですね。どうやってあそこまで御柱を引き上げるのか、興味が尽きません。

境内の隅には何とも言い難いオブジェクトがありました。

何これ...?地面に打ち込まれた六角ボルト....?JIS規格いくつだよ....。そもそもJIS規格なのか...?苔に覆われているところを見るとそれなりに古い...?でも絶対近年のやつだよね...、でも真ん中の穴はなんだか近年できるような穴じゃない...。えっナニコレ....。マジでなんだろう...?ネットで調べると似たようなのは出てくるから、それと同類のやつ...?

頭をひねりながら神社の社務所へ行き御朱印をゲット。

四社すべて巡るとこれがもらえました。

なんじゃいなこれ。篭かな...?しかもちゃんと開く。嬉しいけど、今荷物がヤバいのにさらにヤバくなる...。助けて...。

ここで記念原作ショット。

では本宮を離れ、再び前宮方面に行きます。ただし、守矢資料館を経由していきます。

先ほど紹介し忘れましたが、本宮東側には小川が流れています。この川は御手洗川。ここで蛙狩神事が行われます、

...と言いたいところですが、本当にここで行われているのかどうか怪しい。なぜなら蛙狩神事は近年、動物愛護団体(というよりただの過激派)の妨害にあうようになり、事態を鑑みた神社側が別の場所で神事を行うようになっているらしいのです。もっとも僕が直接見たわけではなくググって出てきた結果なのですが、過激(動物愛護)団体の妨害が起きているのはどうもホントらしく地元住民ですら困る始末。意見するのは自由だと思うけど、妨害行動に移るのはなんかなぁ...。子供じゃないんだからさ、冷静に行動できないもんなのかね、あの手の人たちは。個人的には神事とか文化を殺しかねないのはちょっと賛同できないなぁ、特に外部の人が干渉してさぁ...。何やってんだか。あの手の胡散臭い人たちの考えることは分からない。自身の正義に陶酔した人たちが一番怖いだね、はっきり分かんだね。

写真で撮った場所よりも奥の空間で行われるみたいです。一回くらいは見てみたいなぁ...。元旦に行われるとのことなので、諏訪にピンポイントで元旦に滞在して初詣...くらいのタイミングで見ることができたらいいなぁ...。

というわけで本宮を離脱。再び前宮に向かいます。

途中には末社や神社が並んでいます。

今回は登りませんでしたが、次は登りたいです。

次に行くのは神長官守矢資料館。このあたり一帯を支配していた神長官の資料館です。珍しい展示があるそうなので楽しみです。

これが入口。普通に民家の入口にしか見えません。ホントにここでええんか...?不法侵入じゃあないよな?恐る恐る入っていきます。

ちゃんとここみたいです。石碑が立っています。

入っていくとホントに民家の入口みたいな感じ。ホントに入るぞ?ええんか?

入りました。田舎にある大きな屋敷に入ったかのような感覚になります。それはそうです。かつて諏訪大社で大きな権力を持った神長官を務めていたのですから。

この敷地には祈祷殿がありました。

中に入ることはできませんが、外から建物を見ることはできる模様。もうすでに土着の神のことについて言及されてます。ここ諏訪にいる神がタケミナカタだけじゃないことが分かりますね(笑)(東方民なら当たり前)。一子相伝とか、もう聞きなれた単語が並びます。

ここに来た最大の目的の一つは資料館を見ること。ここでは諏訪大社で行われてきた祭祀の詳細を見ることができるからです。ではでは、入館入館...。ん....?

あぁぁぁぁぁぁ!やってしまったあぁぁぁぁ!明日もう一回チャレンジィィィィ!

ちゃんと下調べしないからこうなるんですよね。皆さんも気を付けましょう。マジで。明日も滞在できる余力があってよかった...。

梅がきれいだ....。そういえばまだ桜を見ていない。ここら辺まだそういう気温じゃないんだろうな。浜松の感覚がまだまだ抜けない。

神長官のあるこの地にはもう一つ面白い物があります。この地に息づく信仰の名残です。むしろ信仰の本流はこっちだったはず。太古の昔から残る原初信仰。ミシャグジ信仰の名残、御頭御社宮司総社です。

守矢神長官はむしろこちらの方の担当であったことでしょう。太古からの信仰は、後からやってきた中央政権に吸収される形となりましたが、このようにして現代に残っています。また明日来ますのでその時に詳しく。

そして奥に進んでいくと、歴代大祝の墓があります。いつの時代の石碑か分からないものもあるところを見ると、古くからここに埋葬されてきたようです。「諏訪」ではなく「諏方」と名乗るところも中々ややこしいところ。

大祝の一族は建御名方と関係しているよう。諏訪にはたくさんの神が登場するため一度整理しないと追い付きません。

墓前を通り、山へ進む道を歩くと前方には奇矯なオブジェクトが。

これは「空飛ぶ泥船」と呼ばれる建築家が作ったオブジェクトだそう。茶室らしいですが、一般公開はされていません。

この建物を見たいですが、日暮れが近づいてきているので次の場所に行きます。この近くにある「峰の湛」です。諏訪七木の一つに数えられた古木で、はるか昔にはここで神下ろしが行われていたとも。諏訪七石と諏訪七木は洩矢諏訪子のスペルカード「七つの石と七つの木」の元ネタにもなっています。

資料館近くからは「鎌倉街道」と呼ばれる古道(?)が前宮に向かって伸びているのでそこを歩いていきます。

この地区は小高くなっているため、諏訪湖方面を見下ろすことができます。また、この付近は縄文から平安時代にかけての居住が認められ、多くの出土品が見つかった地区でもあります。

鎌倉街道は、地元のグラウンドの脇を通り、小高い山の中に入っていきます。誰も入ってこない道の上に、この時間少しずつ日が傾き、木が生い茂ったところは簡単に暗くなります。

少し地面が濡れていて滑りやすくなっている中、慎重に坂を登っていくと周囲とは全く異なった、ひと際異彩を放つ大木と祠が見えてきます。それがお目当て「峰の湛」です。本来なら近づくことができますが、規制線が張られているため遠くから見ることしかできません。

ここは斜面になっているのでもう少し登って平らなところから落ち着いて見ることにしました。少し登って平らなところを見つけたので、改めて峰の湛を観察します。

存在感が違います。この木はイヌザクラだそうです。樹齢は推定200年。松の木だったこともあるそうです。代々大事に管理されてきたことが窺えます。

この地に息づく信仰を垣間見た気がします。今はほとんど近寄ることができなくなってしまっています。いつかこの木も朽ちてしまうのでしょうが、この地に根付く信仰を見ればそれも一過性のものではないでしょうか。すぐに新しい物が植えられ、また数百年受け継がれるのではないでしょうか。

イヌザクラの下にある二つの祠には、ほかの諏訪大社の社殿と同様、4つの御柱が立っています。この祠の所属が諏訪大社にあるということを示すためでしょうか。実際、この場所で祭祀が行われていたこともあったようです。

この大木は200年と、諏訪の歴史の中で見ればずいぶんと短い時間しかこの地にいませんが、それでもこの地域における信仰の強さを見せてくれています。同時に科学が支配する世の中になってからの一抹の寂しさを感じさせてくれもします。脳内で流れるのは「ネイティブフェイス」や「明日ハレの日、ケの昨日」よりも、「無間の鐘 ~infinite Nightmare」といった感じでしょうか、こっちの方が今の諏訪には似合っています。

 

峰の湛を見学し終わった後は小高いところから降りていきます。辿り着くのは、前宮の奥です。この先、守屋山に登る道があります。

守屋山こそ諏訪大社御神体、本宮側には神域もあります。前宮側にはそのようなものが無いので、山の奥に向かう道があるみたいです。早速入っていきます。

しばらく登ると林、林、林....。

こういうのを待っていた。

いいよいいよ、僕一人しかいないこの空間。大好き。

まだまだ登ります。隣には小川が流れています。この川が、前宮付近で水眼の源流と呼ばれるようになるわけです。この川、まだまだ上から流れてきています。

道の途中には車の廃棄場みたいなものがありました。

ナンバープレートが外されているものも多いですが、中にはまだプレートが付いているものも...。

人がいなくなった世界を見ているようです。こういうのいいよね....。

まだ道は上に続いているのでさらに登っていきます。かなり登ったな...と思ったところで思わぬものを見つけました。

古墳です。

特に規制線などなく、近づけてしまうこの古墳。最初看板を見つけ、どこだと探しているうちに石室上部を踏んでいた....なんてことが無いようにしましょう。やらかした人がここにいるので...。

このすぐ近くで道は途切れていました。というか正確に言えば、この上にもまだ続きそうなのですが、これ以上はホントに帰れなくなる気がしたのでやめといた次第です。砂防ダムというようなコンクリの壁の目の前には小さな鳥居と祠がありました。

これも立派な信仰。お供え物が新しいところをみると、しっかりと地元住民によって管理されているようです。空気がピンと張り詰め、ここにも神が息づいていたと感じることができます。

この奥には行けなさそうなので、ここで山を下りることに。前宮にたどり着きます。

この写真を撮るために来ている節があります。なんとも言えない非現代感、非日常感。

諏訪には素晴らしい物が残っていました。

 

帰り際、タクシーの運ちゃんに教わった「御柱屋敷」というところに行ってみました。ここには、山から切り出され上社地域に運ばれてきた御柱が一堂に会します。この光景を見ることができるのは、ここにある間だけ。見ない手はありません。

この周辺に立つ大きなのぼり。

これ絶対神奈子様言うで...。

以上、諏訪前半戦でした。明日も行くところができたので、今朝泊まっていた快活にとんぼ返りします。

塩尻で石油列車を見ました。いつも見る貨物列車とは違って、マジでタンク車のみ。お疲れ様です。
夕飯は信州唐揚げセンターでとりました。疲れた体には効きます。

今日はもう疲れました。寝ます。明日は結構早く行く予定です。

善光寺御開帳&諏訪大社御柱祭④に続く

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